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老大学生奮闘記#3 ~芋づるの勉強

「創造主の出番はあるか」ということが僕の勉強の目的であったので、とりあえず宇宙を勉強すればよい、そう考えていました。ところがことはそう簡単ではありません。宇宙の学問は昔は天文学です。ところが宇宙論と言われるようになって現在では宇宙科学と言われています。

 

 なぜかというとここは物理学の範疇だからです。そこで物理も勉強しなければなりません。物理にはやたら数式が出てきます。あぁ、数学もやらなければいけないのか。

 

 数学と悪戦苦闘しているうちに、哲学の必要が迫ってきました。芋づるはまだまだ伸びます。

歴史学、科学史、思想史とどんどん広がっていきますが、何と聖書理解もまだまだ未熟だということも分かってきました。特に旧約聖書をもっと深めなければなりません。

聖書の専門家を自負していた者としてこれはショックでした。こうしたことから頭の中が縺れ(もつれ)に縺れてしまっているため、前回、難し目のことを書いてしまいました。申し訳なく思っています。

だからと言って分かりやすくと思うと飛び石のようになって、かえって訳が分からないということにもなりかねません。

 

 ここまでくると勉強の目標をもっと狭めなければと思いました。そこで「極限」に限定することにしました。物事の途中に構っていたらあれもこれも手を付けなければならないからです。

ですから宇宙の端問題です。ここまで来てやっと気持ちが落ち着きました。

「なーんだ、聖書の専門家と言うのは極限の専門家のことではないか」。

すると、もっとすごいことが分かってきました。宇宙科学、物理学、数学の専門家も恐れるに足らずです。

 

 僕が今、こんな研究をしているのは、もとはと言えばカール・セーガン(ホーキングの本の序文を書いた人)に喧嘩を売られたからです。現在の宇宙論が極限に来て迷いに迷っていることが分かったからです。

実はこれに対する回答は聖書しかありません。これはぜひ、神さまを信じている人々には知ってほしと思いました。

これから分かり易く書きます。しかも穴が空かない様に書きます。そのため、毛虫のような歩みなると思いますがよろしくお願いします。

 

                              協力牧師 新垣重夫