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老大学生奮闘記#4 聖書の世界観

 

 前回「宇宙論」と言う小難しことを書きました。ブログの性格上仕方がないことですが、なぜこんなことを書くのかには訳も書いておかなくてはなりません。

 

それは現在の宇宙論が数学的世界観で描かれているからです。すなわち前提そのものが唯物論的なのです。

ここには聖書を語る余地はないのです。

 

それも聖書は聖書、科学は科学と棲み分けができていればまだ良いのですが、僕が遭遇したものは「神を語る科学」でした。

科学が神を語る理論を持っているとでも言わっばかりです。現役ならばこんなことに絶対手出しできません。でも神さまは時を与えてくださいました。

 

 聖書の世界観を簡単に言いましょう。人間はいや世界はいや宇宙は「神の懐」の中にあるのです。

宇宙の外、そこは神の懐です。これを僕たちは信仰で受け取っていますが、現代人の知識優先の人にはそれは説明になっていません。

説明できないものは信じられない、と言うのが大方の趨勢です。神を知るためには罪の意識がなければなりません。

すなわち個人伝道をしなければならないのです。これは時を待たなければなりません。

 

  ところが今、チャンスが来ています。それは空前の宇宙ブームが来ているのです。

研究が進めが進むほど、神なしでは説明不可能なところに来ています。どうすればよいのでしょう。

難しことを言いますが、目をつぶって聞いてください。

それは数学の問題、座標の問題です。分からなくてもかまいません。

お祈りと応援をしていただければ良いのです。

  

                                                                                                               協力牧師 新垣重夫