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老大学生奮闘記#6 昭和から令和と言う時代へ

 

 話は数学に絞られていくのですが、その前に僕の今までの人生を振り返って見たいと思います。

生まれて間もないころ、気づいたら着物を着せられていました。

背が伸びるとそれに合わせてたぐりを下ろしていき、体に合わせます。

足には下駄を履かせられていて、家の炊事場は水瓶と竈がありました。

これは時代劇に出てくる江戸時代とそんなに変わりません。

 

 靴を履いたのは高校を卒業して就職した時からです。

以前僕の人生に色がついたのは高校生の頃教会に行くようになり洗礼を受けてからだということを書きましたが、それから献身して神学校に入り、卒業して教会を転々として、無我夢中で走ってきたという感じです。

 

 伝道はひたすらガリ版を切ることでした。チラシも週報もみなガリ版です。こうして40才代の頃、右腕が腱鞘炎になってしまいました。

そのころワープロが販売されだして、すぐこれを手に入れました。

それからの進歩は早く、世の中はコンピュータや電子機器の時代となりました。

 

 世の中が大きく変わったのは1995年、windows95が発売され、コンピュータ時代が本格的に幕開けしてからです。あのころ、MSDOSの話で夢中になっていたことが懐かしく思われます。

衝撃はセブイレブンの出現です。コンピュータソフトのデータベース(エクセルやアクセスのようなもの)を使って商売を始め瞬く間に小売業界にのし上がってきました。数値化によるデータの威力が世に示された感じです。

 

 これをデジタル時代と言ってもよいと思うのですが、これに乗り遅れれば時代に置き去りにされてしまいます。ところがコンピュータを手にして取り掛かってみると、これが意外と難しいのです。

実は僕も四苦八苦の躍起でした。デジタルの波は実業や趣味だけではありません。

その前に学問の世界にも浸透していたのです。

 

 教会も黙っていたわけではなく聖書研究のソフトも発売されていました。

しかし、神学の面では残念ながら立ち遅れていた感があります。

 

 コンピュータの出現で聖書と数学が密接に関連していることが分かったのは実は放送大学で勉強し始めてからです。誰かが気が付いて研究を始めている人がいるのでしょうが、僕の周りの牧師たちには見当たりません。協力を申し出てもなかなかいません。今のところ僕一人が孤独に取り組んでいるところです。もしこのブログを見て下さっている同労者がいたら、連絡お願いします。

 

 

            協力牧師 Amos (A.S.S.)