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老大学生奮闘記#9 天文学から宇宙論

 

 「宇宙論」と言われるようになったのは19世紀後半から20世紀にかけてのことであって、それまでは「天文学」でした。

もちろん今も天文学はありますが、昔から人々は月のこと星のことを観察しているうちに宇宙は有限から無限へと広がってきました。ここまでくると観察の域を超えて理論を組み立てていく以外にありません。

 

  一体宇宙は有限なのか無限なのか、この問いはほとんど「神の実在」を問うことと変わりがありません。なぜなら人は自分では手の届かないところを知ろうとし始めているからです。

 

 自然の現象には必ず、「外からエネルギーを得る」と言うことがあります。人間は食べますが、こうして外からエネルギ-を得ているのです。

自動車はガソリンを入れなければ走れません。地球上に生命がおれるのは太陽の熱と光のおかげです。こうした自然の仕組みはどこまでも続くのです。

地球は宇宙にただポカンと浮かんでいるのではありません。太陽の周りをものすごいスピードで回っています。でなければ不安定極まりないのです。

その太陽が自分の位置をキープするためには、回転していなければならないのです。それは銀河系(天の川)の中心をです。この天の川も何かの周りを回転していなければならないのです。

 

 宇宙には端があるのかないのか。これはほとんど解決不可能な重大問題です。そしてこの宇宙問題は深刻な人生問題でもあるのです。

「私はどこから来たのか」「人生の意味は何か」「死んだらどこへ行くのか」。こうした問題は観察のしようがありません。これが極限の問題であって、実は信仰の問題でもあるのです。

 

 神さまはこう言われました。「ここまでは来てもよい。しかし、これ以上はいけない。お前の高ぶる波はここでとどまれ」(ヨブ38章11節)。科学は今、この神さまの警告を突っついているのです。

  

 

                                                   協力牧師 Amos (A.S.S.)