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老大学生奮闘記#11 アレキサンドロス大王の業績

 

 マケドニヤ王フィリッポスの王子として生まれたアレキサンドロスは、ギリシャの哲学者アリストテレスを家庭教師として迎え教育を受けました。それは論理学、政治学、自然哲学でした。

20才の時父王が暗殺されたことによって王位につき、知略によってギリシャ本土の覇権を手に入れ、瞬く間にエジプトを併合、ペルシャを滅ぼしました。彼の世界制覇はまさに電撃戦でした。

 

 因みにダニエル書8章8,22節の第一の王はアレキサンドロス大王のことです。彼は32才の若さで熱病で倒れ、その国は配下の者たちに四つに分割されました。

 

 大王の強さは教育を受けた知性にあったと言えるでしょう。彼は征服地にギリシャの学問を普及させました。そこからやがて東洋の思想とも混載しヘレニズム(ギリシャ風)と言われるものになりました。

それは哲学なのか宗教なのか、理性で神を理解する宗教ともいえるものが雨後の竹の子のように出て来ましたが、エジプトのアレキサンドリアは学問の都市として残り、ギリシャの学問の温存に務めました。ここで有名なアレキメデス、ユークリッド、プトレマイオスが活躍したことは忘れてはなりません。

 

 このギリシャの学問は帝国の変遷、歴史の変遷を経てアラビアを経由して中世ヨーロッパに伝えられたのは12世紀カロリング期に、14世紀に十字軍後に流入しルネサンスの引き金となったことは周知のことです。そして現代のヨーロッパを築き上げるのにヘレニズムも一躍買っていたのです。しかしその前に1世紀にキリスト教の伝道とともにヘブライズム(イスラエル宗教文化)がヨーロッパの精神として定着していたことは決して無視することは出来ません。

 

  中世ヨーロッパで宗教文化であるヘブライズムと理性文化であるヘレニズムの結婚ともいえる融合が、歴史の大きなうねりとなったことは、最近、欧米では論潮として論じられ始めましたが、日本ではまだまだ蚊帳の外です。このことはこのブログを読んでくださる方々には是非知っていただきたいことと思っています。

 

     協力牧師 Amos (A.S.S.)