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老大学生奮闘記#13 ヘブライズムの精神

 

 パウロの福音とは「良き訪れ」すなわち魂の救いについてのニュースのことです。これは自分の魂のことを考えている人には心を惹かれる部分を含んでいました。

しかしそうでない人々に対しては関心を引くものではありません。もし福音がこれだけのことであったなら、当時流行していた密儀宗教とはあまり変わらず、それらとほとんど同じ運命をたどり、現在では過去にあったこととしての歴史的遺跡となっていたことでしょう。しかしこのニュースには旧約聖書を土台としたかなり精密な宗教思想が含まれていました。それがヘブライズムです。

 

 ヘブライズムとは何でしょう。それはユダヤ教の聖典として書き綴られてきた聖書の形成の中で、預言者たちによって発展させられてきた宗教文化とも言われる思想体系のことです。これについては実際に旧約聖書を読んでいただくことが一番良いのですが、ここには思想の発端ともいうべき源流があります。

それは出エジプト記3章に記されている、モーセに対する神ご自身の顕現の出来事です。新約聖書にも「燃える柴の個所で」として言及されているところでもあります。

 

 聖書の民族であるイスラエル人には「神は現れ語られる」と同時に「神を見た者は死ぬ」と言う伝統がありました。モーセの時代はイスラエル民族は過酷な運命のもとにあったのですが、この顕現を通して神はモーセを民族の救い主として派遣され、こうしてイスラエルは神の民として、神の臨在のモデルとして選ばれたとされています。この出来事を通してイスラエルに文化的覚醒が起こり、宗教的エリート(預言者と呼ばれる人々)が起こりました。

 

 彼らが持った最も中心的な思想は「イスラエルの神は生きておられる」でした。この神のもとでは道徳的な生き方が要求されたのですが、古代の迷信的風習の民に囲まれたイスラエルには非常に困難なことでもあったのです。この神と民とのあきれつの間で、預言者たちは祈り思考し、神の胸の内を獲得していきました。それは「神によるメシヤ(救い主・キリスト)の派遣」と言う考えです。新約聖書の福音はこれを受けて、「イエスはキリストである」と宣言したのです。 

 

 

      協力牧師 Amos (A.S.S.)