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老大学生奮闘記#16 幼子(おさなご)のごとく

 

「イエスはこう言われた。『天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢い者や知恵のあるものに隠して、幼子たちに。現わしてくださいました。……』」(マタイ11章25節以下)

 

 神が支配される世界、これを新約聖書では「天の御国」、「神の国」、「天国」と言いこれらは同じ意味ですが、使い分けるためにニューアンスを持たせても構いません。これらは人間の心にイメージで捉えることが出来ますが、こうした世界に最も近いところにいるのは幼子です。

 

 では大人の心では神の国から遠いのか、残念ながらその通りです。その子どもの心を育て自立心を持った大人を製造する。これが現代教育の目標です。ですから現代の国家水準はほぼ教育水準と相関しています。

イスラエルでは太古に旧約聖書が書かれ保持し継承され教育によって民の心に植え付ける努力が続けられてきました。この文化的ポテンシャルは大きく現代世界の宗教思想の骨格を構築する中心要素となっています。

 

 現代では国力と最も深く関係しているのが科学力です。物質文化を高揚させるためにはこれはなくてはならないものとなりました。今、世界中がここに注目しています。この科学の推進力となっているのが数学です。この数学についてはこれから深く解説していかなければならないと考えていますが、この数学的思考によって世界が無機質になってしまい、ただ構造だけの寒々として世界観を築きてしまいました。これが唯物論的な世界観です。

 

 この教育を受けた子どもたちは世界を構造的に見るようになり、三角や四角円の組み合わせてと解析的な操作によって微粒子の世界から宇宙の果てまでもを理解するようになりました。ここには天と地の区別も物と心の区別すらも見えなくなってしまっています。こうした知識が今では信念となり宗教となり、人間理性への信頼となって現れているのが現在です。

 それでも人々の心から宗教心がまったく失われてしまったわけではありません。現代的大人となってしまった人々にたいして、福音宣教は力を失ったわけではありません。しかし、現代教育によって育てられた人々にどう対処すればよいのか、これはこれからの大きな課題となっているのです。

 

        協力牧師 Amos (A.S.S.)