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老大学生奮闘記#21 神のかたち

 

「神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女とに彼らを創造された。」(創世記1章27節)

 

 人間が他の被造物と比べて特別な存在である、という思想は上の聖書のことばに出所があるというのが一般的です。そして近代思想の特徴でもある「人道主義」もここから生まれ出たものです。

 

 しかし近年行われている人道主義は、初出とは似て非なるものとなっており、唯物論に根拠を置くようになっていて、自然は人の欲望の詐取の対象とされてきたという事実があります。

動物は必要以上には自然から取ろうとはしません。もしキリンがお腹が空いていないにもかかわらず、気分に任せて木の葉をむしり取ったなら、森林はたちまちにして枯れ果ててしまいます。

自然は肉体の必要に応えるだけであって、精神的な空洞まで満たす度量はないのです。環境問題は人間の精神的飢餓がもたらしたものなのです。

 

 人間があくなき欲望を持っているという事実、すなあわち、欲望は動物のように本能に根差しているのではなく、魂にも直結しているという事実が、何かの欠如に起因していることを示しています。

このように考えると、「神のかたち」の容貌が見えてきます。すなわち神との正常な関係の中で本領が発揮され、神との関係の希薄から貧困な姿が露出されてくるということです。

自然は肉体の欲求を満たすものであって、精神の欲求を満たすものではありません。これが「人はパンだけで生きる者でなく…」と言われているゆえんです。

 

 人が「神のかたち」に創造されたということは、現状では人生の無意味に始まり、人間精神の腐敗性にまでありとあらゆることの要因にまでなっています。こうした状況から脱出するためには、「人は何のために神のかたちに創造されたのか」と言う問題をさらに深堀しなければなりません。

 

 神は人を神のかたちに創造されましたが、人は神から迷い出てしまいました。この話題については後日触れることになりますが、神のかたちとしての人間の姿は変質し、自然の管理人から略奪者となってしまいました。

 

 本当はこの項では「神のかたち」について語らなければならないのに、人間歴史の中で稀にしか見られなくなったために、壊れた姿からお話ししなければ理解してもらえないのが実情です。それでは取り戻すべき神のかたちとどのようなものなのでしょう。

 

協力牧師 Amos (A.S.S.) 

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コメント: 1
  • #1

    スタッフよしこ (土曜日, 22 2月 2020 21:21)

    『欲望は動物のように本能に根差しているのではなく、魂にも直結しているという事実が、何かの欠如に起因していることを示している』とキリンの例えはなるほどと思いました。