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老大学生奮闘記#26 目が開かれ

 

「こうして、二人の目が開かれ、自分たちが裸であることを知った。そこで彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちのために腰の覆いを作った。」(創世記3章7節) 

 


 蛇に誘われたエバが夫であるアダムも巻き込んで禁断の実と言われる木の実を取って食べ目が開かれた、と言うのがここでの話です。これを単なる神話と考えるならそれまでです。

しかし聖書は世にも不思議な書、これを「神のことば」と受け取るなら、ここから導き、助け、教え、勇気など様々な祝福を受けることができます。

 

 知っておられるでしょうか。聖書研究は世界で最も重要視されている研究で、これに投じられている人材、時間、財力は、推定では原子力開発費を上回るとも言われています。なぜなら聖書こそ、人間が抱える致命傷とも言われる魂の問題に解決への道筋が示されているからです。

 

 エバはここで蛇に好奇心をくすぐられました。好奇心とは知りたいやりたい持ちたいという欲求の複合体です。これらは神が人間の成長のために必要と思われたために与えられたものです。

人間が一番に成長しなければならなこととは、愛されることを通して愛する者となること、すべての人間がここに到達すればそこは天国になるはずです。このためには好奇心は必要であったのです。

 

 しかし、生きて行くためには知らなくてもよいこと、やらなくてもよいこと、持たなくてもよいものというものがあります。それは禁止されています。誘惑者はここをついてくるのです。こうした人間が抱える最も重要なことは他の学問では得ることができず、聖書からしか知ることができません。

 

 実は知識、経験、所有は適度というものがあり、過ぎると害を与えるものです。人間はある限度の中で生かされているということを知るべきですが、それは日々聖書を読み神に聞くこと以外にはありません。

エバは直接神の声を聞いたのですから、それに従うべきであったのです。

蛇の背後にはサタンが隠れていたということを前回お話ししましたが、アダムとエバの子孫である人間には好奇心に弱点があると知って、神への信仰を強く持つ必要があるのです。

 

 この信仰に留まることを忠実、また真実と言います。私たちは夢アダムの子孫であることを忘れてはなりません。これがここでの大切な教えです。

 

 

  

 [5月10日web礼拝]に☚ご参加ください

 

協力牧師 Amos (A.S.S.)