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老大学生奮闘記#28 裸の恐怖

 

 「こうして、ふたりの目は開かれ、自分たちが裸であることを知った。そこで彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちのために腰の覆いを作った。」(創世記3章7節)

 

 誘惑者があまりにも狡猾であったために、エバは木の実を食べ、アダムにもすすめ彼も食べてしまいました。

人間が住む世界が楽園でなくなったのはこの時からです。

聖書のこうした話を神話とするのはいいのですが、科学的エビデンスがないために荒唐無稽だと言って退けてしまったら、人間が内部で闇を抱えているというこの問題の解答はなくなってしまいます。

 

 歴史は人は常に新しい世を作ろうとしてきました。革命の連続と言ってもよいでしょう。それは成功しても時間が経てばまた元の木阿弥です。なぜでしょう。人の心の中に秘密ができたからです。この時から人は自分を裸にすることに恐怖を感じるようになりました。

 

 心に秘密を持っている限り、ただれ切ってぐじゃぐじゃになっている心の闇を癒すことは出来ません。

救い主が人の心の患部に触れて救うことができるのは、心を開いてありのままになった時のみです。

 

 地上の奉仕の時、イエス様はサマリアと言うところで、一人の婦人と会われました。

イエス様は彼女が心に秘密を持っておられることを知って、「夫を呼んできなさい」と言って直接患部に触れられました。婦人は慌てて話題を変えようとしましたが時遅し、心の闇への手術は始まっていました。彼女が魂の解放を経験したのは、ここにメスが施され、彼女がそれを受け入れたからです。

 

 自分の内部を明らかにすることは恐怖です。しかし、人はこれを抱えていては永遠の闇へと下って行かなければなりません。ここに手を触れることができるのは救い主イエス様だけです。イエス様はあなたの闇を優しく受け止めてくださいます。そして癒してくださいます。これを聖書は魂の救いと言っています。

 

 

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 協力牧師 Amos (A.S.S.)