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困難の中にあっても

 

 ニュースでは、本来ならば今日からオリンピックが始まる予定だったというのを見て、

 

あ~~そうだった!コロナがなかったら今頃盛り上がっていたんだろうな~と思いました。

 

ここ数年は私は子育てが終わって、毎年「今年は断捨離をやろう。」とか「○○へ旅行に行こう」とか「ちゃんと遅刻しないで日曜礼拝に行こう。」とか、わりとお気楽に過ごしていました。

 

もちろん今年は「オリンピックを楽しもう」と思ってボランティアにも応募して1年前から講習も受け配属先も決まっていて、競技のチケットも1日だけ買って準備万端!のはずでした・・・

 

まさかオリンピックが延期がなり、このまま中止になるかも・・・とは思ってもいませんでした。

 

 

 そんな時に、教会では牧師先生の転任があり、「礼拝はどうする?」「ゴスペルのレッスンは?」というわけで

 

教会員で一番ひまでオタクな私がYoutube配信をやったりいろいろ雑務をやっているわけです。

 

特に喜んで奉仕をするという域にまでは達していませんが、

 

神様が「もう子育ても終わったんだからそろそろ教会で奉仕しなさい」と言っているように感じていました。

 

今日の祈り会で牧師先生が

 

「イエス様が求めているものは何か?祈って見つけていく」

 

ということをおっしゃって、思わずメモしましたが、どうやって生きていくか?

 

お金持ちになりたいとか、社会で成功したいとか、自分の夢をかなえたいとか、普通に暮らせたらいいとか

 

皆さんいろいろあると思いますが、自分がどのように生きていきたいか?そう簡単には見つからないと思います。

 

でも 「イエス様が求めているものは何か?祈って見つけていく」

 

そういう気持ちを持っていれば、たとえ思い通りの日常が送れなくても、それを受け入れ答えを探しながら生きていくことができるのではないか?と思います。

 

それと反対に、いくら自分の思い通りの人生を手に入れたとしても、そこにゆるぎない「何か」がなければ

人生はむなしく、それがなくなってしまったら絶望してしまうこともあるかもしれません。

 

だから時々立ち止まって自分の道が間違っていないか?祈りながら、神様に問いかけながら進んでいく人生を私はおすすめします。

 

 今年の年頭聖句

「あなたの行く道すべてにおいて、主を知れ。主があなたの進む道をまっすぐにされる。」

箴言3.6

 

 そうやって過ごしていても時々失敗しちゃうんですけどね。

 

スタッフ はらちゃん

 

 

 

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コメント: 2
  • #1

    まみぞう (月曜日, 27 7月 2020 00:15)

    はらちゃん、いつも恵みをお分かち下さり有難うございます。

    今朝は祈りについてのメッセージでしたね。牢に繋がれていた訳ではありませんが、ペテロと大島先生が重なって見えました。大変なところを通過したからこそ今の自分があるとの力強いお証し、背後で名を挙げて積まれた祈りが結集して成される神様の御業はこういうことなのだなと感じました。

    「イエス様が求めているものは何か?」
    私も祈りながら見つけていきたいです。

  • #2

    スタッフよしこ (金曜日, 31 7月 2020 22:49)

    スタッフはらちゃんさん、今月もまみぞうさんと共に諸々どうもありがとうございました!
    笑顔を絶やさずご奉仕して頂いているお姿、本当に感謝しかありません。

    ここ一年前後の状況を振り返りつつ、今週はふと旧約聖書の以下の言葉がお二人を思いながら浮かびました。

    『あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、このような時のためかもしれない。』
    旧約聖書エステル記4章14節

    浦和教会の皆さんそれぞれが、出来る限りのご奉仕を担ってくださっていることかとは思いますが、地域にお住まいであるが故にお二人に負担も偏ってしまっている部分もあろうかと思います。大変申し訳ない一方で、心より感謝申し上げます。

    主の豊かな祝福とお二人が主のため大いに用いられますことをお祈りさせて頂きます。