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老大学生奮闘記#34 カインの末裔

 

 「カインはの前から出て行って、エデンの東、ノデの地に住んだ。」(創世記4章16節)

 

 有島武郎の短編小説「カインの末裔」を読んだ読者の一人が、そのあと味の悪さに「何を言いたいんだ」と言いました。実際この小説は、創世記4章にある背景を知らずして読むと、混乱するだけです。しかし背景を知って読めば、考えるところ大です。

 

 紫式部に始まる日本文学の伝統には明治に至るまで「浄化」と言う技法がありました。例えば近松門左衛門の吉原描写は浄化され、汚れはありません。そこには慈愛があり情があり礼儀があり美しい世界です。仁義の世界も似たようなことで浄化されます。

 

 しかし大正昭和にかけて救世軍が廃娼運動に取り組んだのは、現実を見てこれを日本の恥部と考えたからです。普通、日本人の間では警察沙汰以下は罪ではありません。このように日本には「原罪」と言う思想はありませんでした。有島はこれを紹介したかったのかも知れません。事実この小説は有島自身の「自嘲小説」とも言われています。彼は聖書を読んで人間の罪深さだけを受け取ってしまったのかも知れません。

 

 「原罪」を扱った小説と言えば、三浦綾子の「氷点」があります。作品は二部構成になっていて、前編はドロドロした人間模様ですが、後編は心の葛藤と「ゆるし」へと続きます。しかし、人間の世界で本当にゆるしはあるのでしょうか。

 

 この原罪からゆるしへと向かう、これが旧約聖書から新約聖書へと向かう壮大な物語であると思えば、聖書は人間の最も深刻な問題を扱ったストーリであると知ることができます。聖書を読み始めてまず知るべきことは人間の心の闇です。それはエデンの園で始まりカインとアベルの事件で露わとなりました。

 

 僕が放送大学で学び始めてから、数学にしろ物理にしろ人間知性の自然理解のものすごさに驚かされたのですが、だんだんと極限が見えてくると、理性の迷走が見えてきました。人間精神、心の闇、魂のことは未だに何も分かっていないのです。

 

ところが芸術や文学は、西欧においては原罪を露わにしようとしています。この問題は人間の力の限界を超えています。ところがこの問題にアニメが答えています。昔から超人への期待がありました。社会の闇は大岡越前のような遠山の金さんのような黄門様のような人が必要です。ス-パーマンやウルトラマンが良いですね。聖書のイエス・キリストまでの物語は決して架空の話ではありません。このお方は本当の救い主です。僕はどうしてもこれを聖書物語として書きたかったのです。

 

 

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