アモス牧師の伝道メッセージ#4思い煩わないために

 

 9月のゴスペルクワイヤーレッスンは

Take It to the Lord in Prayer でした。

 

 この曲の歌詞の聖書箇所は

あなた方の思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。
  神があなた方のことを心配してくださるからです。

     (ペテロの手紙第一5章7節)

 

 レッスンでも山根先生が話しておられましたがこの曲はあの有名な讃美歌と同じ歌詞なんですね。

 

 

 

What a friend we have in Jesus, All our sins and griefs to bear!  
What a privilege to carry Everything to God in prayer!
Oh, what peace we often forfeit,
Oh, what needless pain we bear,
All because we do not carry Everything to God in prayer! 

 

いつくしみ深き 友なるイエスは 罪とが憂いを とり去りたもう 

こころの嘆きを 包まず述べて などかはおろさぬ 負える重荷を

 

 私もこの曲歌いましたね~結婚式で。まだクリスチャンじゃなかったころ!

 

 

などかはおろさぬ ってなんじゃ?って思ってました。(どうしておろさないのか?っていう意味らしい。)

 

 同じ歌詞でも曲が違うと全然印象が違いますね!

 

今回もアモス先生が解説をしてくださいましたので、ぜひ聞いてみてくださいね!

 

 

あなた方の思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。
  神があなた方のことを心配してくださるからです。

        (ペテロの手紙第一5章7節)

 

Ⅰ 心配は絶えない

 人が生きていく上で心配は絶えません。
 心配の中で「心の病」と言われるものがあります。
 これを「思い煩い」と言います。
 思い煩いが嵩じると「不安症」になり、「神経衰弱」になり、
  「鬱」へと進んでいきます。
 今日はこうした心の動きを、神様にお委ねすることによって、
  「心の平安」を持つことが出来るというお話をします。

 この世は心配の種がいっぱいです。
 勿論ぜんぜん心配しない人もいます。
 多分その人は、こう考えているのではないでしょうか。
 「その時はその時、心配したってどうしようもない」と。
 そういう人は悟った人、仏になった人です。
 でも普通の人はなかなか仏にはなれません。
 心の奥の奥では「原因不明の心配」と言うものを抱えています。
 この思いが進んで「思い煩い」となります。

 

Ⅱ リスクは避けられない

 ではなぜ、人は心配するのでしょう。
 それは人は自己完結していないからです。
 今日のいのちは環境次第だからです。
 自然は優しいです。 丁度良い天候で作物を作ってくれます。
 地は安定していて絶えず揺れる、ということはありません。
 海の満ち潮も、限度を守ってくれています。
 こうして生き物が生きられるのは、地球だけだということが、
  最近の科学の成果でだんだん分かってきました。

 しかし、環境は全くリスクがない、というわけではありません。
 特に「災害日本」と言われるくらいで、
  日本は環境リスクの多い国です。
 ですから、国はリスク軽減の政策を打ち出しています。
 津波対策として、海岸線に十メートルを越える防波堤を
  築くことも計画されています。
 だから安心と言うわけにはいきません。
 すなわち、心配はどこまで打つ手を打っても
  「もうこれで安心」とはならないのです。

 「耐震補強」と言うと言うことを考えてみましょう。
 それは建物を守るという話ではありません。
 建物にリスクがあっても、いのちを守るという話です。
 リスクの中で最低限、これは守らなければならない、と言うものがあります。
 たとえ財産を失っても、いのちは守るという考え方です。
 こう言う考え方をするためにはある種の「覚悟」が必要です。
 「物よりもいのちが大事だ」と言う覚悟です。

 

Ⅲ 最後に守るべきもの

 私たちにとって、
  どうしても守らなければならないものとは何でしょうか。
 いのちですね。でもこのいのちも、いつか終わりが来ます。
 人は死んだらどこへ行くのでしょう。
 天国とか地獄と言われるものはあるのでしょうか。
 仏典は「ある」といいます。
 この教えはヒンズー教から来ています。
 エジプトの「死者の書」もあると言います。
 聖書にももちろん天国や地獄のことが書かれています。
 死の向こうには人間、誰も行ったことがありません。
 だから「分からない」のです。すなわち、信じるしかないのです。
 「そんなものはない」と高を括るもの良いでしょう。

 ここで聖書のことばです。
 イエス・キリスト様は言われます。
 「いっさい神にゆだねなさい」と。
 委ねるとは「神さま保険」に入ることです。
 「信仰保険」と言ってもよいです。
 すると、「神があなたがたを心配してくださる」と言うのです。
 保険で安心できるのは「保険金」を払ってからですね。
 信仰保険の場合は、「いっさいを神にゆだねる」ことです。
 心を神さまに預けることです。すると、「心に平安」がやってきます。

 この経験は貴重です。
 「天国があるない」と言う問題ではありません。
 実際の経験として心に平安がやってきます。
 今日は、なぜそういうことになるのか、
  と言うところまでお話しすることが出来ませんでした。
 実は一回では、聖書のすべてをお話しすることはできません。
 でも委ねるなら、心の平安を経験することはできます。