アモス牧師の伝道メッセージ#10 さびしさのない国

 

 母に慰められるもののように わたし(天の神)はあなたを慰める

             イザヤ書 66章13節 

 

  自ら命を終える人の例はフィクションだと思いますが、自分の周りの人や芸能人がそうやって亡くなったりすると、「どうして?」とてもショックを受けますね。

 

 原因は孤独だとアモス先生はおっしゃいますが、友達や家族がいて芸能人であったらファンもたくさんいるのにどうして孤独なの?と他の人から見れば思いますが、きっと「ありのままの自分を受け入れてくれる人はいない。」と意味で孤独なのかもしれません。

 

 ここ数年、YOUTUBEや心理学の本などで「承認欲求」という言葉をよく見聞きするのですが、

 

 承認欲求しょうにんよっきゅう)とは、「他者から認められたい、自分を価値ある存在として認めたい」という願望であり、「尊敬・自尊の欲求」とも呼ばれる。

 

 私が子育てをしている時は「ほめて育てる」ということが育児書に書いてあって、確かに赤ちゃんは周りの人に褒められて、もっと褒められたいと思うことによっていろんなことができるようになっていき、

 

 大人になっても褒められたらうれしいし、ありがとうと言われたらまた親切にしようとか奉仕をしよう。という気持ちになると思います。

 

 最近、神様を信じることは究極の承認欲求なのではないか?と感じるのです。

 

なぜかというと、他者から認められたくても誰も認めてくれない(認められないと感じる)ことがあるからです。

 

例えば、家族の愛を感じずに育ったり、仕事や家のことを頑張っても誰も認めてくれない。信頼していた人に裏切られたり・・・誰もがそう感じることはあると思います。

 

ですが、神様から愛される(承認される)ことはその人の心の中で完結するもので、たとえ周りの人から認められない存在であったとしても、自分が信じることによって神様は認めてくれて、自分の心が満たされていく。

 

そして、どんなことがあっても神様だけは自分を愛してくれて愛されることによって自身が変わっていく。

 

そういうことなのではないかと思います。

 

ただ、クリスチャンになったからと言って、すべてがバラ色になるということではないということだけは正直に付け加えておきます。(笑)

  

   はらちゃん